勝手に西洋哲学を触ってる時と感覚が似てると思うものを3つ挙げる

【起:哲学のエクスタシー】

世の中の哲学好きって
結構めんどくさいやつなんじゃないか?って思っていたのだが、
それは哲学にしか使われない用語を羅列したりする圧迫感のある対話、
そして論破したがりがたまにいるせいだと思う。

あとは頭でっかちが多くて「口が喋ってる」って感じになるのがイヤだった。
お前らまず金稼げよ。って思っていた。
想像がつくと思うけど変な人には腐る程会ってきた。

最近また哲学を読んでみた。
(最近は、社会学寄りの哲学だけどね。)

そして「哲学は気持ちいい」・・・ということに気づいた。

イエス。またもやエクスタシーだ。

【承:私と西洋哲学の関係】

一応、私と西洋哲学の関係を・・・
私は専攻でもないし、詳しくないけど
好きなのは「言語論」と「記号論」の分野。
(言語論はある意味大学でやったけどな)
大学で一番好きな科目だったカルチュラルスタディーズで一番衝撃を受けた言葉は「ヘゲモニー

アメリカの大学で「初級哲学」を受講してたこともある。
なぜか2冊目の課題本がカントの「純粋理性批判」ってところに驚いた。

中二病の時期に仏教と西洋哲学にハマって以来、
3年に1度くらいの周期で哲学に猛烈にハマる時期がある。
が、堅苦しさと、「だからなんだよ」という気持ちに毎回落ち着く。

【転:さて本題】

ここで私が勝手に似てるなと思ってるものを挙げる。

【1:ヨガと哲学】

わたし的な思い込みだけど
「ヨガって、哲学が好きな人が
すっごいハマるんじゃないかな」って思っている。

私が哲学を好きな理由って、
もやっとした概念を言葉をうまく捕まえているというところなんだ。

ヨガで先生は言葉でいろんな指示をくれる。
これはめっちゃ心地いい。

「頭の先から、眉毛、まぶた、目の奥、ほっぺた、
口の中、喉の奥…緊張しているところがないか、確認しましょう」

これ、めっちゃ気持ちいい。
ヨガ大好き。ヨガの先生もヨガの服も好き。

【2:モダンアートと哲学】

哲学者とモダンアートは近いところにあると思う。

モダンアートって、
「その見方があったかああああ!!」って発見があるの。

例えば私が今思い出したモダンアートは
東京現代美術でみた作品。

「線を繰り返すことによって
 雨の表現をする」っていう映像作品があるのね。

その作品を前にした私の心の中のコメント:

「わかるわあああああ!雨って、線に見えるときあるよね!!
 …ってか二次元って、マジで線で出来てるよね!!
 視覚ってそうだよね!わかるわああ!!
 てか、雨の音って最高!自然のミュージックは新曲ダンテだわー!」

とか思っているのね。これも超気持ちいい。

そしてね、この心情を言い当ててるのが
記号論の話をしている時のロラン・バルトのこの文章

「現代人は記号を読むことで
 意味を解釈して生活の意味を作り出し、
 毎日を生きる」(原文は長いので意訳)

「記号論の冒険」(1999)

 

この概念に触れた私の中のコメント:

「わかるわあああああ!!!
 そう、意味なんてないのに意味を作っているこのRPG感!
 だけれども囚われてそこで遊んじゃって、
 結局意識からは逃れられない、この人間というこの意識の器みたいな存在!!
 マジで全ての概念って記号だわー!そして言語の枠に収まっていることになってるわー!!」

ってかんじ。
「私の心のコメント」がいわゆる”独自の感性”だとして
哲学はモダンアートに似てるのである。

【3. モダンアーティスト=哲学者】

ニュートンが重力を発見した話を例にする。

重力という”Aという概念or存在”は前からそこにあったのに
ニュートンが、スポットライトを当てたから
それは世の中に出てきて一般化される。

例えば上記の例だと、
「重力」という概念の誕生なんだけど

XXの誕生をさせるのって、

まず
① 発見が先にあり
② その証明があり
③ 誕生する

これってモダンアーティストがやってることにも似てる。
作品は「概念を彷彿させるための触媒」ってふうにも見れるってこと!

【結:おわりに】

というわけで、
少し哲学について似てると思うことを書いてみました。
「わかるー!」って言ってもらえるとただ嬉しいだけのお話です。